ご祭神・由緒

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開口神社本殿外観 開口神社本殿外観
開口神社諸説 開口神社諸説
  • ご由緒

  • 歴史

  • 神話

鎮座地
大阪府堺市堺区甲斐町東2丁1番29号
ご祭神

- 塩土老翁神(元開口村の神)

航海の神、塩を司る神であり、物知りの神としても知られています。又、命の根源を護る神とも言われ、安産の神としても崇められています。

- 素盞嗚神(元木戸村の神)

牛頭天王とも蘇民将来とも言われ疫病除災の神として崇められています古来より厄除け、開運の神としても篤く信仰されています。

- 生国魂神(元原村の神)

国土開発、発展の基となる神として崇められています。

ご由緒
神功皇后が三韓(朝鮮半島)より石津浜に上陸され、塩穴松原にて忍熊王の反乱を平定すべく戦勝祈願の祈祷をした折、老漁師が赤目魚(鯛)を献上したことを吉祥の証と喜ばれ、八重潮路に向かう地に塩土老翁の御魂をお祀りせよとの詔により開口神社が創建されました。
その後、天永4年(1113年)開口村、木戸村、原村の三村の神社併合により三村宮、または三村明神とも称されるようになります。
ご神紋

三ツ茄子
三ツ茄子

当神社の社紋は三つ茄で珍しいものです。
もとはご祭神に関係の有る巴でしたが、白鳳年間の氏子の中よりひとつのガクに茄子が三つ出来た、これはおめでたい事だと奉納され、それより巴が茄子に変わったと伝えられています。
また、江戸時代の公家である正親町公通が、三ツ茄子の絵に和歌を副えて当神社へ奉納しております。

三ツ茄子が描かれた和歌

明神は墨の江ながら御紋こそ 三つむらさきの茄なりけれ

境内社
竈神社(堺の荒神さん)
豊竹稲荷神社
薬師社
白髭神社 松風神社 塞神社(庚申さん) 厳島神社(弁天さん) 舳松神社 北辰神社 楠本神社
三宅八幡神社 少彦名神社 恵比須神社(戎さん) 大国魂神社(大黒さん) 神明神社 豊受神社
熊野神社 舟玉神社 菅原神社 産霊神社 兜神社 琴平神社 岩室神社
宝物

開口神社は勅願所であったため、公武の崇信篤く、寄進された宝物が数多く存在します。

様々な開口神社所蔵の文書をまとめた、「開口神社史料」を社務所にて授与させていただいております。ご希望の方は開口神社社務所までお問い合わせ下さい。

仲哀天皇期
神功皇后の勅願により御創建
敏達天皇10年(530年)
掃守連矢負を遣わし神戸を定める
白鳳年間(680年前後)
巴紋から三つの茄子の社紋への変化の故事有
天平3年(731年)
住吉神社(大社)神代記に記載
天平18年(746年)
念仏寺建立(この項大寺縁起による)神仏習合の始まり
8月1日聖武天皇行幸
大同元年(806年)
空海宝塔建てる
延長5年(927年)
延喜式登載
承平2年(932年)
神階正五位上に進む
天永4年(1113年)
開口・木戸・原村の三社併合
これより俗に三村宮又は三村明神と云われる
承安4年(1174年)
一切経蔵建立
文治3年(1187年)
指画文書-堺最古の現存文書
永和元年(1375年)
念仏寺年中行事成る
応永32年(1425年)
女院御所光範門院祈願所となる
念仏寺塔婆造替日時勘文
応永34年(1427年)
足利義持祈願所となる
文明16年(1483年)
三村社祭礼記録-宮座記録
天文4年(1535年)
千利休初見-念仏差帳日記
天正7年(1579年)
大寺名初見(津田宗及日記)
天正14年(1586年)
豊臣秀吉より80石朱印状を受ける
明歴元年(1655年)
遷宮-徳川家宣
寛文3年(1663年)
三重塔再建
元禄3年(1690年)
大寺縁起絵巻上梓
元禄期
鉾祭礼に出る
享保6年(1721年)
谷善右衛門神輿寄進
慶応4年(1868年)
8月26日より28日迄明治天皇御即位御祈願
明治元年(1868年)
9月28日より10月5日迄東京行幸禁裏御祈願
明治6年(1873年)
郷社となる
明治7年(1874年)
女紅場(現泉陽高校)境内に設置される
明治22年(1889年)
堺市役所境内に置かれる
明治28年(1895年)
府立第二尋常中学(現三国丘高校)境内に開設
明治35年(1902年)
府社となる
神楽殿建立
明治43年(1910年)
大寺縁起国宝指定
大正3年(1914年)
堺市立幼稚園(現第一幼稚園)が境内に設置される
大正4年(1915年)
客殿建立
大正10年(1921年)
吉光短刀国宝指定
昭和20年(1945年)
7月10日戦災により境内堂宇全焼す
昭和25年(1950年)
大寺縁起、短刀銘吉光 重要文化財に指定
昭和28年(1953年)
伏見天皇宸翰御歌集 冬百首 重要文化財に指定
昭和39年(1964年)
本殿拝殿再建
昭和41年(1966年)
儀式殿 瑞祥閣竣工
昭和45年(1970年)
創建1700年式年大祭斉行
開口神社史料上梓
玉垣、灯篭等整備
昭和60年(1985年)
20年式年祭斉行
平成元年(1989年)
境内の戦災復興整備終える
末社整備竣工
参道石畳等境内整備

しらひげさん

本殿の北側にあった井戸屋形のような小さな祠。人々はそれを『しらひげさん』と呼んで信仰していました…。

むかし、朝鮮の国に国民から大変信頼を受けていた若光という王様がおったそうな。白いヒゲを生やしたその王様は、俗に『しらひげさん』の愛称で慕われ、死後も神としてあがめ続けられておった。
この新羅(しらぎ)から渡ってきた神『しらひげさん』と、磯良(しら)と称する日本の神との混合体が、境内に祀られておる『しらひげさん』じゃ。
その『しらひげさん』を祀った祠の中には井戸があって、その中に一匹の竜神(しら)が住んでおり、毎年初秋の頃になると昇天して大雨を降らせ、農民たちを喜ばせたそうじゃ。
なぜこの地に祀られたか定かではないのじゃが、なんでも、開口神社に祀られているスサノオの神は、永らく新羅の国に住んでおって、新羅に精通する神としてあがめられてもおったそうな。
そんなことから、この地に『しらひげさん』の祠をもってきたのじゃろう。

金龍井の伝説

神社西門の入口の「金龍井」と呼ばれる古い井戸にはこんな伝説が…。

むかし、ここに海会寺という寺があったそうな。ある年の夏、毎日、日照りが続き、井戸まで水がなくなってしまった。そんなある日、海会寺の和尚が庭にたたずんでいると、1人の老人がやってきて、「前世の咎で蛇身に生まれついた私をお救い下さい」と言うので、和尚は「念仏を一身に祈りなさい」と教えたそうな。
すると老人はたいそう喜んで「お礼にいい事をお教えしましょう。庭に鵜の羽を敷いて一夜置き、その下に白露が湧いたらそこを掘ってみてください。」と言い残し、そのまま立ち去ったそうじゃ。
寺男が後をそっとつけて行くと、老人は一匹の大きな竜になって草むらへ消えていったそうな。
和尚は老人の言った通りにして掘ってみると、なんと清らかな水がこんこんと湧き出たそうじゃ。その水の湧き出した跡が今の「金龍井」で、神社の北門を少し行ったところにある蛇谷が、老人が竜の姿に変わって消えたところだそうな。

みむらん坊

本殿の前には戦前まで、樹齢600年以上といわれる樟の大木があり、そこに年を経た天狗が住んでいたそうじゃ…。

木戸、原、開口村の3つの村の社が合併されたそのむかし、ここの村人を「みむらん坊」とゆうとった。その中に、「1日千里の道を往復できる」と大言壮語する者がおったそうじゃ。神変自在の力が知られている彼のことを「みむらん坊天狗」と称えておった。
ある時、この天狗「下界には住むことができぬ」と言って、神社本殿の前にある樟の大木に登ってゆき、人前に再び姿をみせぬようになった。木の葉がうっそうと生い茂るその大木は、上を仰いでも梢は見えず、木の股に設けられた祠がうす暗い闇の中に浮かんでいるかのようやった。村人はこの中に天狗が住んでいると噂したそうな。
そんなある日、天狗は大和吉野の大天狗と問答の闘いを行ったそうじゃ。しかし無念にも負けを喫したため、一夜吉野に飛行し、大天狗の膝下に参じたんだと。
吉野山の山奥に、今も朱塗りの立派な桜門が見える事があるそうじゃが、それは「みむらん坊天狗」が大寺の山門をその際に持ち運んだものじゃそうな。